04 - 七夕/星の舞い降りし夜に


 織姫たちが星界へ帰ってから、ちょうど一年の経った今日、七月七日。
 この日、亮介は去年のように家の屋根の上で、夜空を見上げていた。
 今年、新たに二年生へと進級して、そうも相変わらずの日々を過ごしていた。唯一変わった事といえば、千里が願ったように仕事で忙しい亮介の父親が比較的家に居られる様になった事と、織姫と一緒に捕まえた二匹の金魚が新たな家族となったことだろうか。
 亮介は去年と同じ、星の見えない白い夜空を見ながら物思いに浸っていた。
 本当に、この一年で数々の思い出が出来た。新しい学校で、新た仲間と過ごした日々。織姫が去った跡に訪れた夏休みには、気さくなクラスの何人かに声をかけられ、海にも泳ぎに行った。冬にはスキーにも行った。
 疾風のように流れていく日々は、どれもこれも素晴らしい思い出を沢山くれた。
 本当にいい思い出ばかりだ。
 だが、それでも時々あの三日間を思い出すと、ひどく胸が締め付けられるのと同時に、他の思い出にはない確かな暖かさを感じることが出来た。
 どの思い出もいい物ばかりだったが、あの三日間だけは特別輝いて見えた。
 今もこうして、この白い夜空を眺め、織姫と出逢ったこの場所にいると、思い出されるのはあの短くてすごく充実していた三日間の出来事ばかり。
 この場所で織姫と出逢った事。一緒にお弁当を食べ、夏彦を捜しに街まで行った事。織姫と二人でお祭りを楽しんだ事。織姫の浴衣姿に目を釘付けにされた事。初めて手を繋ぎあった事。驚いた事。ドキドキした事。わくわくした事。一緒に笑いあった事。……織姫と別れをした事。
 それらは他の思い出よりも、懐かしくって眩しくって暖かくって、何より思い出すだけで胸が締め付けられて……。
 どんなにあの日々を思い出した事か。どんなに瞼の裏に、あの日の織姫の笑顔が蘇ってきた事か。
 いつもふとした拍子に思うんだ。もう一度織姫たちに逢いたい、て。
 けれどそれは自分からでは到底叶わなくて。その事実が辛くて。時々どうしようもなくなて。それでも、そうなった時は何故かあの三日間の事を思い出すと心が満たされて。なんだかすごく不思議だ。
 この星の見えない夜空は今も腹立たしい。それでも、思い出という星の光が、記憶という過ぎ去ってしまっただけの織姫の輝くような笑顔が、最後の夜に織姫がくれた満天の星空のように自分の中の夜空でいまなお輝いていた。
 星が見えない。それは、自分の中の夜空が曇ってしまっているから見えないのだと、今では思う。
 どんなに星が綺麗に輝いていようと、周りに余分な光や雲があると、それらはあっさりと見えなくなってしまう。
 同じように心にも余分な光や雲があると、そこにある大切な煌きが見えなくなってしまうのだ。
 それを自分は織姫と出逢って解ったんだ。あの笑顔に気付かされたんだ。
 星はいつだって夜空で輝いている。空気の綺麗な澄み渡った空で、いつもいつも自分を見守ってくれている。包んでくれている。護っていてくれている。
 それがどんなに素晴らしい事か。どんなに幸せな事か。
 それに気が付いた時、自分は変われたと思う。
 気付いたとき、心の夜空から余分な光が消え、曇りが去り、澄み渡って、今までとは違う満天の星空が姿を現した。


 ――あなたに、いと清き星の輝きがありますように


 織姫の最後の言葉を思い出す。同時にそう言った織姫を思い出す。
 ――すごく、胸があったかい。
 片手を胸に胸に当て、その暖かさを噛み締める。
 ――もう一度、会いたい。

「織姫……」

 空を見上げて静かに呟いた。夜空で星が輝いた気がした。亮介は瞳を閉じて思う。
 自分からでは決して織姫たちに逢う事は不可能だ。なら、俺は絶対に忘れない。君の笑顔を。共に過ごした時間を。気付かせてくれた事を。くれた暖かさを。
 今宵は去年と同じ、七月七日。
 七夕の夜には、何かお願い事をするもの。
 ならば願おう。


 ――どんなときも、いつまでも、いと清き星の輝きが君を照らしますように


 そっと瞳を開いて、空を見上げた。一筋の光が輝いた気がした。

「ん?」

 いや違う。星が輝きながら、一直線に自分の許へと舞い降りてきていた。

「亮介くん!!」

 舞い降りて来た光の結晶を見つめ、思わず目が点になった。

「お、織姫! どうしてここへ!!」

 それは織姫。初めて出逢った時と同じ姿で、光を伴って、それに負けないくらいの笑顔を称えて亮介の前に降り立った。
 織姫は、顎が開いて塞がらない亮介を見て、またにっこりと笑った。

「それは、亮介くんお願いを叶える為です」
「願いって……」


 ――お前らが無事に早く家に帰れますように、とお願いするよ――


 唖然とする亮介の脳裏に、去年の今日言った自分の言葉が蘇ってきた。
 思わず苦笑する。

「俺はそんな意味で言ったんじゃないんだけどなー」
「何言ってるんですか。ここはわたしの家でもあるんですよ?」

 でも、と織姫は表情を曇らせる。

「あの日から、もう一年も経ってしまって……。亮介くんの願い事を叶えられませんでした」

 そう今にも泣きそうな声で織姫は呟く。
 本当に織姫は責任感が強いなと改めて認識する
 亮介はそんな泣きそうな織り姫を見ると、バカだなぁ、優しく織姫に声をかけた。

「でも、もう一つの願いは叶えてくれただろう? ほら、俺が願ったとおり、織姫が無事に家に帰ってきてくれた」

 それに、お前は俺がまた織姫に会いたいという願いも叶えてくれた。
 亮介は織姫に笑いかけた。
 そんな亮介を見て、織姫は目から溢れ出しそうな涙を両手の甲で拭うと、一年前のあの時のような輝く笑顔をまた見せてくれた。
 それを受け、亮介もまた精一杯の笑顔で答えた。

「織姫」
「……はい」

――――おかえり。
――――ただいま。

 そうお互いに言い合って、また笑い合った。

 亮介は、一人、心の中であの見えない星に願った。
 いつまでも、これからも、ずっと織姫と一緒に笑って毎日が過ごせますように、と。
 今宵も星は夜空を駆け巡る。
 さあ、これからまた織姫と一緒の新しい生活が始まる。
 きっと、あの三日間に負けないくらいたくさんのいい思い出が出来るだろう。
 そう亮介は思うと、静かにこれからの生活に胸を躍らせた。



 ――あなたに、いと清き星の輝きがありますように


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